2020-01-26

歴史歩き〜関ヶ原編。

天下分け目の関ヶ原へ


さて、彦根城を後にして、次は関ヶ原に向かいました。

彦根駅を出発し米原駅で乗り換え、関ヶ原駅で下車したのですが…。

改札がブーブーいいます。

またしても、管轄会社を跨いで乗車してしまいました。

彦根駅から米原駅までがJR西日本、米原駅から関ヶ原駅まではJR東海が管轄です。

紙の切符は管轄を跨いでも問題ないのに、ICカードはダメだというのも腑に落ちませんけれど。

ちょうど駅員さんがいない時間帯だったので、少し付近をぶらぶらして、精算をしてもらってから散策を開始しました。

関ヶ原駅

関ヶ原駅




島津義弘公の陣跡へゆく


関ヶ原に来た最大の目的は、何といっても島津義弘公の陣跡を訪ねること。

もうね、鹿児島の英雄です。

戦国時代を通じて話題には事欠かない人物ですが、一番有名なエピソードは関ヶ原の戦いにおける島津の退き口ではないでしょうか。

図らずも属してしまった西軍の敗色が濃厚となる中、僅かな手勢を率いて敵陣の真っ只中を突破し、鹿児島に帰り着いてしまったというなんとも豪快なエピソードですが、これを間近にみた徳川家康は薩摩藩を恐れ、西軍に属した武将が軒並み所領を削られる中、薩摩藩のみはその領土を安堵されたといわれています。

関ヶ原においても、しっかりと大きなパネル付きで紹介されています。

島津義弘公

イケメンの島津義弘公


松平忠吉と井伊直政の陣跡


島津義弘公の陣跡にゆく道中、松平忠吉と井伊直政の本陣跡がありましたので寄ってみました。

松平忠吉と井伊直政の陣跡

松平忠吉と井伊直政の陣跡


退却する島津軍を最も激しく追撃したのが、このふたりの軍勢だとされています。

その追撃線の最中、義弘公の甥である島津豊久公は討ち取られてしまっているので、薩摩の人間からすると恨み骨髄ともいえる人物ではあるのですが、今は静かに手を合わせました。

義弘公の陣跡へ


さて、いよいよ義弘公の陣跡へ向かいます。

松平忠吉、井伊直政の陣跡からは歩いて15分ほどです。

義弘公の陣跡の前には神明神社という神社があり、義弘公もこの神社に戦勝祈願をしたとのこと。

装飾のない非常にシンプルな神社でしたが、それだけに凄味も感じました。

神明神社

神明神社


そしていよいよ義弘公の陣跡です。

立派な石碑と案内板が整備されていました。

ここを起点として、島津軍にとっての関ヶ原の戦いが始まったのです。

そして、退却。

関ヶ原からおそよ1,000kmを踏破して、見事薩摩に帰り着くという偉業を成し遂げた義弘公とその部下たち。

亡くなった方もたくさんいる中、こういうことを思うのは不謹慎なのかもしれませんが、興奮に似た感情が湧いて鳥肌が立ちました。

丸に十の字

丸に十の字


石碑

石碑


案内板

案内板


石田三成本陣、決戦場


義弘公の陣跡を訪ねたことで、旅の目的は果たしたも同然だったのですが、せっかくなので石田三成の陣跡と決戦場も訪ねてみました。

笹尾山は関ヶ原を見渡すことができる高台になっています。

石田三成陣跡

石田三成陣跡


笹尾山

笹尾山から関ヶ原を臨む


大砲

大筒を撃ってくれます


そして、関ヶ原の戦いの中心となった決戦場には、石田と徳川の旗がはためいておりました。

関ヶ原決戦場

関ヶ原決戦場


歴史巡り、終了


さて、今回は京都から滋賀、岐阜と歴史巡りをしてまいりました。

普段、積極的に観光地を訪ねようとは思わないのですが、何故か今回は気が向いて。

写真も撮れるし、たまにはよいかなーと思いました。

次はどこへ行こうかなー。


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